その日から、僕とおっちゃんとの地獄の日々が始まった。
「ヒー・イズ・アウト! こう宣告されたものは蜘蛛の糸が切れるが如く、ダイヤモンドという天国からダッグアウトという地獄へと急降下し永遠に罪を贖うのだ」
「助けてママ! おっちゃん頭がおかしい」
「アウトになりたくなければ走ることだ。野球史上最も優れた走者は誰か知っているか? 激怒したメロスだ。おっちゃんは東北新幹線が新車両のネーミングを一般募集したときに迷わずハガキに"めろす"と書いて応募したが結局選ばれたのは"はやぶさ"だった。あのときは激しく落胆したよ」
「おっちゃんどいてよ! 学校に遅刻しちゃう」
そう言って僕は、まとわりつくおっちゃんを振りほどき家の外に出た。庭に無造作に置かれたホームベースの周りを、発泡酒の空き缶が魔法陣のように囲んでいた。
「なにこれ!?」
「ボーイ。この世は2つの世界に分けられる。天国と地獄? ノー。宇宙と地球、北半球と南半球、リアルとSNS、すべてノーだ。唯一この世を2つに分けるもの、それはストライクとボールだ。このホームベース上の、肩から膝までの立体空間のみが神聖視され、どんな犯罪やテロもこのストライクゾーンの中では無力だ。このゾーンの中で起こるデッドボールはストライクになる」
「おっちゃんいいかげんにしてよ! 僕そこまでして野球なんてやりたくないよ」
「ボーイ……YO BOY……君には素質がある。それともあれかい? 何者かになりたいという願望を持ち続けることで、何者かになれるというのかい?」
「おっちゃん……僕はまだ小学生だよ」
「小学生だからって、アイ・デン・ティ・ティが無いってのかい? アイ・デン・ティ・ティが? そんな時はヌンチャクのアルバム『ヌンチャクラ』の1曲目「めおとチック」を聞いて安息するがいい。ボーイ、君は何者になりたいんだ?」
「だから僕は、ピッチャーになりたいんだ」
「そういうわけにはいかない。この4つの中から選択しなさい。その1はクリネックススタジアムの便所に常備されているクリネックスティシュー、その2は花京院に咲く花、その3はコートダジュールを歌う松崎しげる、その4は神だ」
「じゃあ神でいいよ」
「それでは君を、品川区南埠頭公園野球場のナイター照明設備を司る神に任命しよう」
「むちゃくちゃだ」
僕はいつのまにか、おっちゃんのペースに引きずり込まれていた。学校を休み、千本ノック、千本ティーバッティング。中でも最もハード・トレーニングだったのは千本ポルノだ。
「おっちゃん、ポルノビデオなんて退屈だよ。僕まだ小学生なのに」
「確かにポルノビデオは退屈だ。しかし、優れた名選手たちはみなこうやって千本ポルノという猛練習に耐え抜き、選手として開花したんだよ。よし、明日からは洋モノじゃなくて日活ロマンポルノにしよう」
やがて僕は、卒業の日を迎えた
(つづく)
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